《The Lady at the Bridge(橋姫)》 Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in constant attendance upon his daughters. Though in her late fifties, she was still favored with the graces of a considerably younger woman. Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life "the young captain," Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently wasted away to nothing. It would have been a very affecting tale of long ago even if it had been about a stranger. Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts of his birth, Kaoru had prayed that he might one day have a clear explanation. Was it in answer to his prayers that now, without warning, there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「橋姫(はしひめ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八張弓 弓之惣 太平弓 一番太平弓 大刀雄之明神 古文書。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。南磨綱紀編『内国史略』2種セット 明治時代和本 日本史書 銅版画地図入 古地図。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。内田正雄纂輯『官版輿地誌略』(7巻5冊=亜細亜洲3冊+欧羅巴洲2冊)明治7~10年序 文部省印行 明治時代ボール表紙本 折込古地図多数入。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。f240502008〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都あすか山 東京都北区王子 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。現在の今上天皇と系譜がつながっている。オリュンポス ねじまき少女 恐怖の存在 キルンピープル クラーケン 宇宙飛行士ピクルス物語 ハヤカワ文庫 17冊セット 送料無料。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。富岡鉄斎旧蔵書(蔵書印2顆・自筆箋付)五十嵐篤好『天朝墨談』(全5冊揃)安政6年青藜閣梓 江戸時代和本 書道論。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。堀川院百首。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。f240502003〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都数奇屋河岸 東京都中央区 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。酒井抱一筆 俵屋宗達筆童子採菊之圖鑑定書 文化九年十一月廿二日。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。淺智露 (武具 鎧など) 鏡嶋源養正著。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【難あり】『国菓図鑑 限定五百部』/昭和10年/寺田一夫/西宮書院/Y11422/fs*24_4/34-05-1A。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。松本楓湖編『日本画譜』(全2冊揃/木版画16枚)渡辺省亭 永峰秀湖 川端玉章 橋本雅邦 岸竹堂 小林清親 荒木寛畝 瀧和亭 菅原白瀧 跡見玉枝。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。美濃飛騨両国地理明細新全図 川瀬善一編。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。写本 駒田隼人恨晴秘録 宝暦11年 武術活劇 武士 検)歌舞伎浄瑠璃江戸時代古書和書古本古文書 NS。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。和本 道二翁道話四篇巻中、道二翁道話二篇巻下、2冊セット 寛政8年(1796年)頃 須原屋茂兵衛。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【安永年間 肉筆刀釼秘傳書】 巻物表装・誂え箱付き 改元歴史資料 L0705D。従って、応永五年とは、書き始めの年である。工藤左衛門冨士日記 作者竹田出雲 享保一三年初演。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。選挙論 江口三省 小松三省 明治22年 土佐藩 高知県 戦前 政治 明治大正 古書和書古本 Y。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。f240502006〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都両ごく 東京都墨田区両国 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。山内香雪鉤纂『本朝名家手簡』(6冊)天保12年跋 天寧閣蔵板 江戸時代和本 服部南郭 伊藤東涯 新井白石 貝原益軒 千利休 狩野探幽 白隠ら。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【35冊】和本「唐詩選画本」小林新兵衛 葛飾北斎 画狂老人卍 嵩山房 高井蘭山 杉田金助 五言絶句 五言律・排律 七言律 全7編帙入り。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。古書 古本 書箱付 *御文章 御文 浄土真宗本願寺 親鸞聖人 *玉葱文 内側 金箔 *釋闡如 大谷光暢 貴重 資料 歴史 宗教 仏教 仏典 古文書。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。唐衣橘洲『狂歌初心抄 完』寛政2年序 耕書堂刊 江戸時代和本。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。息災護摩 正徳4年 仏教 江戸時代 検)仏陀空海古書和書古文書古本浄土宗浄土真宗真言宗天台宗密教護摩江戸期 ND。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【豪華複製版】嵯峨本徒然草 上下巻2冊組◎奥山春枝 鈴木尚美社 影印本 1934年(昭和9年)発行。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。5 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 木更津 江澤潤一郎。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。N23020614○太政官布告 明治8年○宮内省中典医侍医馭者雑掌を廃し 宮内庁中新置官等表の官を置く太政大臣三条実美 熊谷県○和本古書古文書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。長野県満州開拓史 3冊セット。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。f240502011〇彩色木版画 広重 富士三十六景 鴻之臺戸根川 千葉県市川市国府台 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。芹澤文平『芙蓉霊峰名所写真帖』大正4年 宝永ホテル刊 大正時代の富士山写真集 富士山六合目「宝永山荘」。
出品した「源氏物語」は橋姫(はしひめ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。傳信州中野鈴泉寺町田謙齋(湘湖)資料。橋姫の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする浮舟の恋物語を描いております。大日本法律規則類編 上下巻セット 明治19年 戦前 法律法学 六法全書 明治大正 古書和書古本 P。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする。鳥井正之助編 大庭新八翻刻『一筆漢画』(全4冊揃)明治14年刊 中国光緒年間の草花画手本帖の和刻本 彩色木版画譜 明治時代和本 中国美術。八の宮の山籠りの留守中に宇治を訪れた薫の君は、有明の月の下で琴と琵琶を合奏する大君と中の君の二人の姫君の姿をかいま見る。石田玉山『国姓爺忠義伝 前編』(全十三巻十三冊揃)文化元年 柏原屋源兵衛他刊 江戸時代和本 読本 絵本国姓爺忠義 中国史 浮世絵師絵入本。その気品高い優雅に心ゆらいだ薫の君は応対に出た大君に交誼を申し出るが、代わりに応対に出た弁の君は柏木の乳母子であることを告げたうえ、柏木の遺言を伝えたいと申し出る。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 古文書。冬十月、宇治を訪れた薫の君に、大君と中の君の姉妹の後見の依頼を受け承諾した。溝口竹亭『俳諧をだまき綱目大成』(全二巻揃・合本一冊)宝暦11年 田中庄兵衛刊 江戸時代和本 俳諧をだまき綱目 俳句 俳諧書 俳書。その明け方、薫の君は弁の君と対面し自分の出生の秘密を知る。1914年 栄華物語 与謝野晶子 中澤弘光絵 金尾文淵堂 彩色挿絵多 検索⇒木版画家 絵本 木版摺 洋画 日本画 浮世絵 陸軍美術協会 曾山幸彦。その証拠の品である柏木の遺書を読み、自分の薫は出生の秘密を知る。f240502025〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東海堂左り不二 静岡県富士市依田橋 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。しかし、父柏木の顔を知らない。竹久夢二木版画装『中山晋平曲 童謡小曲』(2冊=第15,17集) 昭和5年 山野楽器店刊 北原白秋・野口雨情・西條八十ら歌詞。だが、親であることは間違いない。詠史百首 大沼枕山 明治期 和歌 短歌 詩学 戦前明治大正古書和書古本 NK。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。『文政再版 続江戸往来』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物 江戸案内書 絵入本。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解する。聖戦美術/陸軍省情報部/非売品/支那事変二周年記念日/昭和14年/小磯良平・向井潤吉・川端龍子・橋本関雪/荒木貞夫題字/和装本/戦時資料。薫の君は美しい大君に心を動かされ愛情が芽生えていく。ちりめん本 日本の芝居 寺子屋・朝顔 Japanische Dramen Terakoya und Asagao 独語 長谷川武次郎 カール フローレンツ。
原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。●俳諧書●『誹諧御傘』全10巻5冊揃い 俳諧御傘 松永貞徳著 俳諧式目 作法書 帝畿宣風坊書林●古書 和本 江戸時代 俳句。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。永井荷風『葛飾土産』限定300部 昭和25年 中央公論社刊。薫は出生の秘密を知る。頼山陽『校刻日本外史』(全12冊揃)明治18年 大日本帝国海軍軍艦・富士山艦旧蔵書(印記「富士山艦印」)明治時代和本。しかし、父柏木の顔を知らない。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。だが、親であることは間違いない。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。J24021702〇茶家好古集覧 全1冊 須原屋茂兵衛他板 花押 千利休 織田信長 豊臣秀吉 古田織部 細川幽斎他 嘉永7年〇和本古書古文書。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解したものとされている。■『白波五人男』神奈川縣平民・市川かめ翻刻。明治21年初刷。ボール表紙本。文事堂發兌。■御存知「歌舞伎十八番」の伊達男が勢揃い。。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。「武井武雄 刊本作品友の会 頒布記念パーティー敷紙」25枚セット 1967-1983年作 木版画多数 豆本 懐紙。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
「橋姫」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。【戦前書籍/和装本】限定2000部 藤懸静也「浮世絵の研究」上中下3冊 昭和18年 雄山閣刊/岩佐又兵衛/師宣/鳥居流/遊女絵/絶版希少/貴重資料。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。元老・重臣・官僚・華族 野依秀市 秀文閣版 昭和9年11月発行 初版。
この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。古文書 書簡 五島耕畝 香山基宛て 封筒付き 茨城県 日立市 中里村 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。1930年代中国 看板 招牌 幌子 検索:銭荘 当舗 図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 作坊 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。江戸時代 和書『磐溪小稿』 大槻清崇 紫薇園蔵 文政10年 1827年。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。楽翁 松平定信書幅。》
《宇治八の宮の物語》
《薫の君、姉妹を垣間見る》
《薫の君、大君と御簾を隔てゝ対面》
《薫の君、宇治へ手紙を書く》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)に宇治の姉妹を語る》
《十月初旬、薫の君、宇治へ赴く》
《薫の君、八の宮の娘たちの後見を承諾》
《姫君の御うしろも(後見)にて》・・・・さふらはせ給(たまふ)、
弁の君とそいひける。厩馬新論 卑牧子較評。年も六十にすこし足らぬほとなれと、
みやひかにゆゑあるけはひして、ものなと聞こゆ。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。
故権大納言の君の、世とゝもにものを思ひつゝ、やまひつき、
はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出て、泣くこと限りなし。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。
「けに、よその人の上と聞かむたに、あはれなるへき古事ともを、
まして、年ころおほつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの
初めにかと、仏にも、このことをさたかに知らせたまへと、
念しつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを
おほえぬついてに聞きつけつらむ」
とおほ(思)すに、・・・・《なみた(涙)とゝめかたかりけり。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《桐壺天皇の皇太子・八の宮の二人の姫君(大君と中の君)と薫の君(女三の宮の子)の恋物語・自筆「源氏物語」橋姫》
《八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子)姫君(大君と中の君を養育)》
《国宝・橋姫の元になる原文・薫の君、大君と中の君の合奏を聴く》
《桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮の娘・大君と中の君の合奏後、薫の君老女房の昔語りを聞く》
《薫の君、弁の君の話(薫の君の出生の秘密を知る)に関心をいだき再開を約す》
《薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、大君と中の君の後見を託される》
《薫の君、弁の君と対面、実父・柏木の手紙を託される》
《さて、その夜明け方の、八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮)が
お勤行(つとめ)をなさる間に、中将(薫の君)は、
あの老人(おいびと)の弁の君をお呼び出しになりお会いになる。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。
この老人は、姫君(大君と中の君)の御後見として》・・・・仕えさせていらっしゃる
弁の君(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えたの弁の君)という者であった。f24050701〇東雅 新井白石 目録共全5冊 和装活字本 明治36年 日本語の辞書 語源解釈を主に扱う〇和本古書古文書。
年も六十に少し足りないくらいであるけれど、都ふうに嗜(たしな)みのある感じがして、
なにかと中将(薫の君)にお話し申しあげる。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。
弁(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えた弁の君)は、故権大納言(柏木)の君が
ずっと物思いに悩みぬいて、そのために病(やまい)になってなくなっておしまいになった
始終を話し申して、どこまでも泣き続けている。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。
中将(薫の君)は、
(薫の君)「いかにも、他人の身の上話として聞いていてさえしみじみと悲しくなるに
ちがいない昔話であるのに、まして長年の間気にかかっていてその真相を知りたいと思っていました。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。
私の出生については疑問に思うところがありましたが、いったい事の起りはなんであったのかと、
仏にもその事情をはっきりお教えくださいとお祈りしていた、その験(しるし)であろうか。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
こうして夢のように心うたれる昔話を思いがけない機会に聞きつけることができたとは」
とお思いになると、・・・・《涙をとめることもできないのであった。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。》
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。
《The Lady at the Bridge(橋姫)》
Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in
constant attendance upon his daughters.
Though in her late fifties, she was still favored with the
graces of a considerably younger woman.
Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life
"the young captain,"
Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently
wasted away to nothing.
It would have been a very affecting tale of long ago
even if it had been about a stranger.
Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts
of his birth, Kaoru had prayed that he might one day
have a clear explanation.
Was it in answer to his prayers that now, without warning,
there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《橋姫》
老侍女是服侍位女公子的,名叫弁君,
年将近六十,然而度雅,善于。光琳百図 亀田鵬斎序 谷文晁序 酒井抱一編 2冊 前編後編 博文館。
叙述已故柏木大言日夜愁,
以致一病不起之状,哭泣不已。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。薰君想道:
“此往事,即使是于他人的,听了也不感慨。送料込み、1727年刊。江戸時代の和本「田舎荘子」全4巻、江戸中期の滑稽本、著者は佚斎樗山。
何况是我本人多年以来所望知道的。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。
我常向佛祈愿,欲明示当生何事情,
致使吾母出家尼。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。想是佛力,
使我无意中得此机会,听到如梦一般可悲的故事。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。”
他的眼泪就流个不住。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。后来道:“如此看来,
像一知道当年旧事的人,今世有。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。
但不知可又可耻的事,外有人播出去否?
多年以来,我全然不曾听到。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。”弁君答道:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。
左の写真が「源氏物語」橋姫の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。Y3B3-240517 レア[千字文]。冬姫は内大臣・通誠の養女。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。
冬姫は通称。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。正式な名は伊達貞子。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。左端の写真は「橋姫の巻」末尾の拡大写真。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。
上の篆書体は、「「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)の押印。導水瑣言 岸田吟香自筆書寫本(二五歳) 楽善堂主人寫 安政五年春三月寫。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(橋姫の巻)MRI 45―33B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。村田峰次郎編「長周叢書」12冊セット 明治24-25年 稲垣常三郎刊 明治時代和本(和装活字本)防長関係文献 周防国 長門国 山口県郷土史料。
「源氏物語」「橋姫の巻」主人公・橋姫の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と薫の君。ジャングルブック 菊地寬編。
「源氏物語絵巻 」橋姫(国宝)琵琶を前にする中の君(左端)と、
琵琶を横に置く大君。五本亭万羽編『八雲拾遺 高根五歌仙 全』文化9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 成田蒼句収載。邸の外から二人の姫君を眺めるのが薫の君(右端)
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。1947年 初版 江戸建築叢話 検索:江戸城 諸門 城門 大岡越前守 奉行所 職制 絵図 絵本 製図 藍図 江戸橋 品川宿 遊郭 女郎 花街 外郎屋 茶屋。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「橋姫」原本に記されております。1907年 近松世話浄瑠璃詳解 検索:時代物 世話物 歌舞伎 平安堂 巣林子 不移山人 人形劇流派 義太夫節 河東節 一中節 常磐津節 富本節清元節。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「橋姫の巻」を書いていることがわかります。学問ノススメ 九編。この原詩の言葉の引用は、「橋姫の巻」に用いられていることで広く知られている。送料込み、1790年,江戸時代の家庭の医学の和本「広恵済急方」全3巻、1巻少し糸ほつれ。多紀元簡。挿絵数十有。。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。半化房(高桑闌更)『誹諧道志るへ』安永8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。近世禅林僧宝伝・3冊/相国寺心華院荻野独園撰/明治23年/荻野独園老師が延宝伝灯録・本朝高僧伝以降の臨済宗の禅僧等の伝記を撰したもの。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。HH-5284 ■送料無料■ 掌中官員録 明治8年 陸軍省 海軍省 琉球藩 他 政治家 名録 資料 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。平林縫治・仲古谷津友吉・小野利世編 浪速短冊研究会同人跋『和歌の浦』限定300部 大正15年刊 古短冊集 宸翰から三遊亭圓朝まで。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。紙看板 定宿びぜんや藤五郎。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。百人一首。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。馬場信武『韻鏡諸鈔大成』(7冊セット=巻2~巻7)宝永2年 小倉八兵衛他刊 江戸時代和本 音韻論。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八条流馬書 清水忠安謹書 書状 古文書。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。墨子兵書 全四冊。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。@1926年 絵にしたる歴史の裏 田村孝之介 俳諧 俳文 浮世絵 漫画家 洋画家 大西孝之助 信濃橋洋画所 風景 裸婦 スケッチの技法 永田禎彌。撮影後、展示のために再表装をしております。[絵本] 太閤記 秀吉公一代記 明治32年 牧金之助★ko2.39。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。倭節用悉改袋増字◆古書 全1冊 俟野通尚 西川祐信 法橋西村中和 速水春暁斎 井上治兵衛 東都書林 浪華書林 皇都書林二鳩堂 文政元年-328。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。入江兼通(入江若水)『通俗両国誌』(全二十六巻二十冊揃)享保6年 蓍屋勘兵衛刊 江戸時代和本 中国史 読本 通俗両国志。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。怪文書「田中 犬養両内閣 罪悪一覧表」犬養毅 田中義一 野崎政助 渡辺正雄 選挙妨害 パンフレット【24-0326-8】。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。◆古書◆ 目でみる埼玉百年 埼玉百年記念誌 本 歴史 コレクション 昭和レトロ 昭和46年発行 埼玉県。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。道教 真経 妙経 肉筆写経 唐本漢籍 漢文 検索⇒古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 書道 宣紙 白棉紙 清朝 経書経 在銘。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。長谷川伸旧蔵書 江風散士『正調安来節の踊り方と唄ひ方』大正10年 奥村久太郎(島根県松江市)民謡 俗謡。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。写本 喜多川義比口演『有機化学』明治26年 京都府立医学校(現・京都府立医科大学)有機化学講義録 京都府立医科大学附属病院薬剤部長。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。菅茶山著 木村渫庵校『筆のすさび』(全4冊揃)安政4年 太田屋六蔵他刊 江戸時代和本。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。写本『勧殖桑養蚕書外題・豊国書』文政8年 樋口雄貞誌(信濃國松島)江戸時代写本 長野県伊那地方養蚕業。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。※よろこびの春 宮路吉甫喜寿祝歌集 滋賀県蒲生郡中野村宮路直一(現東近江市) 姉小路良子・宮内省御歌所寄人良大口鯛二・須川信行等。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。古屋芳雄『民族淘汰論』岸田劉生・武者小路実篤らと交友した作家 国立公衆衛生院長をつとめた公衆衛生学者。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。ふり分かみ。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。岡山京橋御作事御書出留帳 松本済堅 享保辰八月 纏図。母は後水尾天皇皇女女二宮。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 三議一統 上 古文書。実母は近衛家女房(瑤林院)。長谷川伸旧蔵書『大分聯隊区管内に於ける郷土戦史の研究 第1輯』昭和2年 帝国在郷軍人会大分支部刊(大分県大分市)戦国時代戦史。幼名は多治丸。浅草吉原ほか地図多数・解説入 江戸の名所案内「再校江戸砂子」明和9年 菊岡沾涼 7冊☆千住湯島谷中四谷渋谷など和本江戸時代資料 B245yn。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。東洋閨範烈女伝。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。まくり 松村呉春。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。老子形気。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定